漂流
アーティゾン美術館主催、石橋財団コレクションと現代のアーティストとの共演により、美術の新たな可能性を探るシリーズ「ジャム・セッション」、今年は沖縄と東北という異なる土地に根ざし、歴史や記憶に向き合ってきた二人の作家により開催された。
山城知佳子さんの展示について、映像作品中心ということだけ聞いていたので、私が飽きて途中で投げ出してしまわないか不安だったのだが、まさに杞憂だった。映像の見せ方の難しさを理解したうえで構築された異様な空間であった。開けた空間に4つのディスプレイが配置され、幕により大雑把に、ゆるやかに空間が分割されている。映像作品はドキュメンタリー・演劇・伝統芸能など、それぞれが独立した物語を持っているのだが、たびたびそれらの音と映像が混線し、別の作品が重なり一つの場を作り上げる瞬間がある。基本的には一つの映像に集中して向かい合うのだが、見ている最中も横を向けば、遠くにほかの作品が流れていることを確認することはできるし、さっき見た映像の言葉が良いところで聞こえてくる。戦火を経験した人たちの言葉を何度も反芻するような仕組みになっている。面白い映像展示だと思った。
それとは独立した映像作品も、ずっと嫌さを見せつけてきて気持ちがよかった。肉屋の映像がよかった。おそらく男女格差を描いたのだと思うが、気色の悪さが乗り切っていた。先鋭ダンサーの映像は意味が分からなかったが、滑稽に見えて面白くなってしまった。真剣にやっている人の面白さみたいなのはよくないかもしれないけど、何かその人なりの強い評価軸があって、それがあることはわかるのにどこにあるのかはわからないみたいな、そんな面白さがあったのかもしれない。ジャム・セッションのたびに思うが、作家のフルスイングが見れて楽しい。
志賀理江子さんの展示は疲れてちゃんと見れなかったのだが、震災のこと、原子力のこと、記憶の中で風化させてごめんなさいと思った。そう思わされるくらい怖かった。当事者との間に断絶がある(かもしれない)ことを忘れてはいけない。沖縄と同じように、これからも向き合っていかないといけないことなんだろう。アクションの手前に、私が私の中で咀嚼する必要がある。
安井曾太郎の絵も好きだった。かわいい。自分の絵柄を獲得している。人物画が良くて、写実よりも生き生きとした人の存在が伝わってくるような気がした。